社会人としての学びについて考える〜働き方改革時代の自分の鍛え方〜(その1)

このテーマについては、昨年10月に触れたところではあるのですが、記事にあげた後、修行中の身で何か偉そうなことを書くのはおこがましいことかもしれないなということで、書くのを少し躊躇っていました。

 

しかし、今回の異動で、いち担当者という立場を離れる形となったこともありますので、この機会に、自分自身の過去を振り返りつつ、現時点での考え方を整理し記録として残しておくことにも何がしかの意味はあるのだろうと思うに至り、ここ数年考えてきたことを、少しづつ書き連ねていくことにします。(もっと現実的な理由としては、朝夕の通勤電車で暇だということもあります。)

 

まず、書き始めるにあたっての基本的な立ち位置の整理なのですが、こんな大きなタイトルを掲げていて何ですが、「社会人としてどうあるべきか」とか、「社会人に必要な学びとは何か」と言ったことについては、職業人として、それなりの年数を重ねていけば、人によって様々な見解に至るのだろうと思います。私自身、今回、自己啓発書みたいに「社会人かくあるべし」と言ったことを書きたいわけではありませんし、そのようなことを書く能力もありません。

 

結論を先取りする形にはなりますが、自分としては、「あるべき社会人像」「あるべき社会人としての学び」みたいなものは、日々の仕事の中で、仕事を通して社会と向き合い、諸先輩方のスタイルや、自分なりの研鑽を重ね試行錯誤を繰り返していく中で、「自分なり」の、答え、仮説、考え方に近づき、あるいは見出していくことが社会人としての成長なのだと考えています。そこで、今回は自分自身におけるこれまでの社会人経験の中で至った考え方なりを一つ参考材料として提示するという立ち位置で書き進めていきたいと思います。

 

とりあえず、今回はここまで。